東京地方裁判所 平成5年(ワ)11877号 判決 1995年9月26日
原告
鈴木實
右訴訟代理人弁護士
高橋隆二
被告
熊谷實
右訴訟代理人弁護士
小林幹治
主文
一 被告は、原告に対し、原告から金三〇〇〇万円の支払いを受けるのと引換えに、別紙物件目録二記載の建物を収去して、同目録一記載の土地を明渡せ。
二 被告は、原告に対し、平成五年七月一日から前項の土地の明渡ずみまで一か月金八万六九〇八円の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを二分し、それぞれの負担とする。
事実及び理由
一 請求
(主位的請求)
1 被告は、原告に対し、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)を収去して、同目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を明け渡せ。
2 被告は、原告に対し、平成五年七月一日から右土地の明け渡し済みまで一か月八万六九〇八円の割合による金員を支払え。
(予備的請求)
被告は、原告に対し、金五一五万八二〇〇円及びこれに対する平成五年一二月四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 事案の概要
本件は、原告が、借地人である被告に対し、
1 主位的に、借地期間満了と正当事由による借地契約の終了を主張して、本件建物の収去と本件土地の明渡し及び借地期間満了の翌日から約定の賃料相当損害金の支払いを求め、
2 予備的に、借地契約の更新による更新料の支払いを求めた
事案である。
三 争いのない事実及び証拠上明白な事実
1 原告の父亡鈴木喜右衛門は、昭和三〇年一月五日、被告の兄熊谷宏に対し、本件土地を、建物所有の目的で、期間を昭和五〇年一月末日までと定めて貸し渡した。その後、昭和三七年五月二一日、右喜右衛門が死亡し、原告が本件土地の所有権と賃貸人の地位を承継した。また、熊谷宏の借地人の地位は、昭和三八年一月に、被告に承継された。
2 原告被告間の右借地契約は、期間満了を待たずに、昭和四八年七月五日、合意更新され、期間を昭和六八年六月三〇日までの二〇年間、賃料一か月六八八〇円、増改築禁止特約(ただし、自家用増改築の場合は適用しない。)との合意をした。(以下「本件賃貸借契約」という。)
3 本件賃貸借契約は、平成五年六月三〇日をもって期間満了により終了するところ、被告は、それに先立つ同月三日に更新の請求をしたので、原告は、同月一四日に異議を述べ、同月三〇日、本件訴訟を提起した。
四 争点
1 本件の争点は、主位的請求については、正当事由の存否であり、予備的請求については、更新料支払いの慣習の存否である。
2 原告の主張
(一) 本件賃貸借契約には、自家用増改築の場合を除く増改築禁止特約があるが、その趣旨は、昭和三〇年の当初の契約目的にもあるとおり、賃借人の自己の居住用建物の敷地として賃貸したものであるから、自己の居住用建物の場合に限って増改築を認める趣旨である。
ところが、被告は、昭和五〇年ごろ、本件建物を他人に賃貸し、被告自身は所沢市に所有する土地に自己所有の建物を新築して転居し、本件建物は、既に自己の居住用建物ではなくなっていた。しかるに、被告は、原告が強く異議を申し立てているにもかかわらず、昭和五二年ごろ、本件建物を大規模に増築することを強行し、他人に賃貸した。被告は、右違反行為により、昭和三〇年に建築されて平成五年には当然に朽廃すべき本件建物の朽廃時期を故意に遅らせたものであり、被告の右違反行為がなければ、平成五年には、更新の有無を論じることなく、本件賃貸借契約は終了していたはずである。
(二) 原告は、本件土地の隣接地を所有し、将来、本件土地と合せて有効利用を考えている。
(三) 他方、被告は、昭和四五年所沢市に宅地を購入し、昭和四九年に居住用建物を建築しており、本件土地を居住用に利用する必要はない。被告は、本件建物と所沢市の建物との間で、複雑に転居を繰り返しながら、昭和五〇年四月から約三年間と、昭和五七年四月から六年間は、本件建物を他人に相当額の賃料で賃貸していた。したがって、被告は、本件建物を自己の居住用に使用する必要性はない。のみならず、本件建物を他人に賃貸していた間に、前記のような大規模な増改築を行ったことは、本件賃貸借契約の重大な違反である。
(四) のみならず、原告被告間には、前記の増改築禁止特約違反の他、従来より賃料改定において幾たびかのトラブルを経ており、信頼関係は既に喪失している。被告主張の合意書は、賃料をめぐるトラブルを解決したもので、増改築をめぐるトラブルを解決したものではない。
(五) よって、本件賃貸借が、仮に建物朽廃によって既に終了したものではないとしても、更新請求につきなされた原告の異議には右のとおり正当事由があるから、本件賃貸借契約は、期間満了により終了したものである。
なお、原告は、正当事由の補完として、立退料一〇〇〇万円を支払う用意がある。
(六) 本件賃貸借契約に基づく地代は、被告の主張に基づき月額四万三四五四円となっている。そして、本件賃貸借契約には、契約が終了した場合において、明渡しまでの損害金を、賃料相当額の二倍とする旨の約定がある。
(七) 仮に、本件賃貸借契約の終了が認められないとしても、被告は、昭和四八年七月五日、本件土地の賃貸借契約が合意更新された際、更新料を支払っている。このように、合意更新に伴う更新料支払いの事実がある場合には、それ以後、法定更新がなされた場合であっても、法定更新に伴う更新料支払いの合意があると解すべきである。仮にそのような合意がなくても、以上のような事情及び近隣に合意更新に伴う更新料支払いの慣習がある場合には、賃借人の更新料支払いの事実たる慣習があるというべきである。
右更新料の額は、賃貸借の目的物の価額の三パーセントが相当であるところ、本件土地の時価は、一平方メートル当り一〇〇万円を下らないから、これに賃貸面積171.94平方メートルを乗じた額の三パーセントである、五一五万八二〇〇円が更新料の額として相当である。
3 被告の主張
(一) 被告は、熊谷宏から本件土地に関する賃貸借契約を承継後、昭和四〇年、原告の承諾を得て建物を二階建に改築した。その後、被告は、昭和四八年七月、本件土地に関する賃貸借契約は更新されたが、その際、更新料一一七万八五〇〇円と、借り増しする5.18坪分の礼金二〇二万三〇〇〇円を支払った。この時、期間満了を待たずに契約が更新されたのは、被告において本件建物の改築の希望があったためであり、更新時期を早めることで改築の承諾を得てなされたものである。右改築は、昭和五二年になされたが、それに先立ち、被告は、改めて原告に対して改築の実施を申し入れている。
(二) その後、地代は、毎年のように値上げされ、昭和五八年四月からは、月額二万四九〇〇円となり、本件土地の地代は近隣より大分高額になっていた。そして、昭和五九年四月の原告の値上げ請求は、月額一二万二九〇〇円という大幅なもので、到底応じられるものではなく、被告から、二万六八〇〇円を提案したが、話合いはつかず、被告は地代の供託を行った。
その後、弁護士を通じて話合いを行い、昭和五九年九月二七日、地代の改定と合せて、本件賃貸借契約に関わる両者間の問題が円満に解決されたことを確認する合意書が作成された。これにより、地代が昭和五九年八月分より三万四〇五四円と改定されたが、その後も、地代は毎年値上げされている。
(三) 以上のとおり、昭和五二年の改築は、原告の承諾を得てなされたものであるし、その際に、意志の疎通を欠く点があったとしても、右合意書により解決ずみである。
(四) 原告のいう正当事由は、隣接する土地と合せて有効利用を考えているというだけで、具体性がない。原告は、本件土地の周辺に、本件土地を含めて八筆の土地を所有し、貸駐車場や、原告の経営する会社の所有する共同住宅の敷地として利用している。
(五) 被告は、本件建物を被告夫婦及び長女、次女の住居として現に使用しており、被告の家族にとっての生活の本拠である。確かに、本件建物は、
① 昭和五〇年四月から昭和五四年三月までは、その一部を、
② 昭和五七年四月から昭和六三年四月まで
他に賃貸したが、右②の期間以外は、被告家族又は被告の親族の居住用として使用されてきたものであり、そのことについては、原告も当時から知っていたことである。なお、所沢市の建物は、現在、長男家族の住居として使用している。
(六) 原告は、信頼関係の喪失をも主張するが、増改築については、合意書が作成されて解決ずみの事柄である。地代についても、前記のとおり、毎年のように値上げされてきており、その値上げ額について被告が減額を求めたからといって非難されるいわれはない。
(七) 以上のとおり、原告の請求は、理由がない。
五 争点に対する判断
1 判断の概要
当裁判所は、原告の本件賃貸借契約の期間満了による終了の主張は、原告における本件土地の自己使用の必要性は必ずしも十分ではないけれども、被告の本件建物の必要性、本件賃貸借契約の経過期間、従前の本件賃貸借契約をめぐる原告と被告との紛争の経緯と、その紛争における被告の責任に照らし、原告に三〇〇〇万円の立退料を支払わせることにより、正当事由があり、理由があると判断する。
2 事実関係
証拠により認められる事実は以下のとおりである。(全体につき甲二九、甲三四、乙五、原告本人、被告本人)
(一) 争いのない事実1の本件土地の賃貸借契約は、昭和三〇年一月五日に締結されたものであるが、これに続いて、賃貸人たる鈴木喜右衛門は、熊谷宏に対して、昭和三〇年一月五日付け土地賃貸借契約書に追加して、元の契約書上は、一般的な増改築禁止条項であったものを、「自家用増改築は除く」とし、また、「本件土地の借地権について第三者からの異議があった場合には、賃貸人において一切の責任を引受ける」旨の「土地使用承諾書」と題する書面を差入れている。そして、この書面には、後に、原告と被告とが添書している。また、右賃貸借の開始に当って、熊谷宏は、鈴木喜右衛門に、耕作放棄の代償として四二万四二六〇円を支払い、仲介業者に仲介手数料も支払っている。(甲一、甲二、乙六、乙九、乙一〇)
(二) 右賃貸借契約の賃借人は、昭和三八年に被告に承継されたが、その際に新たに契約書(条項は承継に関する附則を除き昭和三〇年の契約と同文)が作成され、地代は月額九四三円(坪当り二〇円)となった。(甲三)
(三) 被告は、昭和三〇年五月に本件土地上に木造瓦葺平家建床面積21.95坪の建物を新築し、昭和四〇年一月に、これを増築して、木造亜鉛メッキ鋼鈑瓦交葺二階建床面積一階22.80坪二階12.50坪の建物とした。この増築に先立つ昭和三〇年七月三日付けで、原告から、被告に対して、増築の必要性、被告が増築した場合に近隣の借地人から同様の要求があった場合に被告が補償するか、借地の期限を延長しないことについての公正証書を取り交したい、などとする内容の書面を送付し、被告は、これに対して、現建物では狭く間取りの関係からも住みにくいので教育上・家庭環境の向上をも合せて二階の増築をするなどとの回答をしている。(甲五、甲一五、甲一六)
(四) 前記争いのない事実2のとおり、本件土地の賃貸借契約は、昭和四八年合意更新されたが、その契機は、被告が、前の賃貸借契約では、賃貸部分に含まれていなかった本件土地の北端部分(かつては本件土地の西側の土地の借地人のための通路となっていたが、その更に北側の私道が公道となったため空地となっていた。)の借り増しを申し出、これを含めて貸地とするため新たな契約書を作成したものである。この契約書には、元の賃貸借の契約書にあった「賃借人の住家敷地としてのみ使用する」との文言はなくなっているが、増改築について賃貸人の承諾を得なければならないとの条項を、自家用増改築については適用しないと修正する特約条項は残されている。そして、この更新に際して、被告から原告に対して、更新料一一七万八五〇〇円と借り増し分の礼金二〇二万三〇〇〇円が支払われている。また、同時に、原告から被告に対し、建築のために必要な土地使用承諾書を交付する、賃借権について第三者から異議があった場合には賃貸人において解決し賃借人には迷惑をかけない、などの内容の通告書が交付され、その趣旨に沿う承諾書も作成されている。(甲四、甲三五、乙一、乙二、乙四、乙一一)
(五) 被告は、昭和四六年に、所沢市に宅地を購入し、昭和四九年に同地上に木造スレート葺二階建床面積一階69.52平方メートル二階66.24平方メートルの建物(居宅)を新築した。そして、昭和五〇年三月二〇日、被告は、原告に対し、「方位の都合で所沢へ移る。その間他人に家を貸す。長男は星回りが逆のため置いて行く。」などという内容の申し入れをして所沢市へ転居した。そして、本件建物には、義弟夫婦と被告の長男が住む他、被告らの転居により空いた部分を、窪田という者に賃貸した。この後、被告の家族は、少なくとも住民票上は、頻繁に転居を繰り返している。
被告がこのような転居をした理由は、次女が情緒的に不安定で通院していたが、はかばかしくなかったことや、本件建物を改築することが、家相が悪いからだとか方位が悪いからだという人がいて、被告がその人の助言に従ったためである。(甲九、甲一〇、甲一四、甲一七、甲四三)
(六) 原告は、この後から、被告を含む原告の借地人に対して、消費者物価指数を基準として、地代の値上げを要求するようになったが、特に被告に対しては、本件建物が賃貸されていることをも理由として説得を試みている。しかし、被告は、その要求に抵抗していた。(甲一九、甲二〇)
(七) 被告は、昭和五二年に本件建物を、「息子をよい方角に転居させるため」との理由で自家用として増築することを原告に申し入れた。しかし、原告は、それ以前に本件建物が他人に賃貸されていたことから、被告の申し入れに対して疑問を呈し、被告に詳細な説明を求めたり、弁護士に相談したりしたが、被告からは原告にとって満足のいく説明はなく、その一方で、原告が相談した弁護士は、被告の増築に反対することには消極的な見解であった。そして、同年一〇月ごろ、被告は本件建物の増築工事を行い、本件建物は、現状の大きさ(床面積169.96平方メートル)となったが、この増築工事は、登記簿には反映されていない。(甲五ないし甲七、甲一八、甲二一)
(八) その後、地代が順次値上げされていった(この間、被告は、借地借家人組合の援助を得て値上げ要求に抵抗している。)が、昭和五九年四月になって、原告は、月額一二万二九〇〇円への値上げを通告しようとした。その通告書は、郵便によるものは被告が受領せず、同年五月一六日に、執行官送達によりようやく送達された。その後、原告と被告との間で、直接の交渉あるいは弁護士の代理人を立てての交渉が行われたが、原告が、本件建物は既に自家用建物でなくなっていることを主張して地代の値上げを要求したのに対し、被告は、偶々事情によって賃貸したにすぎず、なお自家用である、本件賃貸借契約上は、非堅固建物所有目的としか定められていないから賃貸は差支えない、賃貸といっても事情があって本件建物に住めないので善意で貸したものである、などと主張した。原告は、この被告の主張について弁護士に相談しているが、弁護士の見解は、被告の主張は十分研究されていて正しいというものであった。(甲八、甲三〇ないし甲三三)
(九) この紛争は、昭和五九年九月二七日、原被告間で、弁護士の代理人を含めて、「本件土地の賃貸借契約に係わる甲乙間の問題が本日円満に解決されたことを確認する。」とした上で、昭和六四年七月末日までの地代の算定方法についての合意を内容とする「合意書」と題する書面を取り交して決着した。(甲二八、乙三)
(一〇) その後、本件賃貸借契約の満了日である平成五年六月三〇日に先立つ同年五月二〇日、原告代理人は、主として信頼関係破壊を理由として更新拒絶の意思表示をし、被告からは同年六月三日付けで更新の請求をする旨の返答書が出され、これに対して原告から同月一〇日付けで異議を述べた上、平成五年六月三〇日の本件賃貸借契約の満了日に本件訴訟が提起された。(甲一一ないし甲一三)
(一一) 原告は、本件土地の西側に隣接する土地を借地人から返還を受けて未利用のまま所有しており、本件土地と合せて(右西側隣接土地を本件土地と合せると、約三〇〇平方メートルの広い公道に面した正方形に近い画地になる。)共同賃貸住宅の敷地として利用したいとの意向を有している。しかし、原告は、その一方で、本件土地を含む一画の土地(元新宿区西落合三丁目三三三番の土地)を所有して、被告他二名に貸地している他、自己所有の土地があり、親族所有の土地とともに、原告と親族とで経営する会社所有の賃貸住宅を建てて、これを賃貸している。(甲二四、甲二六、乙七、乙八)
(一二) 他方、被告は、本件建物に被告夫婦と長女、次女の四人が居住しており、所沢の家には、被告の長男夫婦が居住している。また、被告は、本件建物を、昭和五〇年四月から昭和五四年三月までの間は白ゆり本舗こと窪田に、昭和五七年四月から昭和六三年四月までの間は伊藤園に、それぞれ賃貸し、相当額の賃料を収受していた。
3 以上の事実により検討する。
(一) 原告は、本件土地を賃貸住宅の敷地として活用することを主張している。確かに本件賃貸借契約による本件土地からの収益は極めて小額であり、これを活用したいという原告の意図には合理性がある。しかし、旧借地法四条一項にいう自己使用の必要とは、基本的に自己の住居の用に供することを指すものであり、土地を右のような収益を得るための営業に用いることは、自己使用の必要に含まれるとしても、これを重くみることはできないものである。のみならず、原告は、本件土地の他に複数の貸地及び賃貸住宅の敷地にしている土地を所有し管理している。そうすると、原告における自己使用の必要性は、ないとはいえないものの、相当に乏しいといわざるを得ない。
(二) 他方、被告は、既に二〇年も前から、所沢市にかなりの広さの自己所有の土地建物(但し約三分の二の持分を妻に贈与している。)を所有しており、これを自己の住居とすることが可能であるし、実際にそうしたこともある。右建物には、現在長男夫婦が居住しているとはいえ、生計を別にする子供の住居は、まずもってその子供自身が調達すべきものであるし、右住所に長男の住民登録はなく(甲一四)、被告一家がかねてから方位によって頻繁に転居していることからすると、住居としての安定性にも疑問があり、考え方次第で被告ら自身が生活することも十分可能であると思われる。そうすると、被告にとって本件建物が唯一の生活の本拠ということもできず、被告の本件建物の必要性も少ないといわざるを得ない。
(三) ところで、本件土地の賃貸借は、昭和三〇年以来、既に四〇年を経過しており、被告に承継されてからでも、既に三〇年を経過しているもので、その間に被告は自己所有の土地建物を入手し、被告の子も相応の年齢になり、長男は既に独立して世帯を構えているなど、住居用の建物所有のための賃貸借としては、一応その目的を達したというべきである。
(四) 本件土地の賃貸借は、その始まりから、一般にみられる増改築禁止特約に一部が除外されていた。そして、昭和四八年の合意更新の際には、賃借権についての異議を賃貸人の責任で解決するとの一筆が差し入れられている。これらの点は、一般の借地契約に比して、地主たる原告の立場を弱めるものということができる。原告は、右合意更新の後から、もっぱら賃料の値上げを要求して地主としての立場の保全を図ろうとしていたところ、被告はこれにある程度は応じるものの、借地借家人組合の援助を得て抵抗もしていた。その一方で、方位や星回りという一般には理解し難い理由で本件建物から転居したり転入したりし、それと平行して本件建物を他人に賃貸して、相当額の賃料を収受していたものであり(被告は、その賃料額について明確に述べず、窪田には月額六、七万、伊藤園には月額二〇万ちょっとであったとあいまいに答えている(被告本人)が、本件建物の規模や陳述態度に照らして、右賃料額は余り信用できない。)、これは本件賃貸借契約の目的を逸脱するものといわざるを得ない。また、昭和五二年の増改築については、前記認定事実の経過に照らして、原告の明確な承諾があったとは認め難い。
このような経緯から、原告と被告との本件賃貸借契約をめぐる関係は円滑を欠くようになったと考えられるところ、その責任は、賃料の値上げを要求する原告にもないとはいえない(これは前記のように契約上不利な立場にあった原告の抵抗であったと思われる。)けれども、どちらかといえば、不合理な理由で本件建物からの転居をなし、その一方で本件建物の賃貸をして手堅く収益を上げていた被告にある(法律的には適法だとしても感情的な紛争が生じたことは事実である。)といわざるを得ないものである。
そうすると、本件賃貸借契約の期間満了に当たって契約を終了したいとの原告の希望は、法律的にも取り上げられるべき主張であるというべきである。
(五) 確かに、右の賃料値上げにかかる紛争は、昭和五九年九月の合意書の作成で一応の解決をみている(乙三)。右合意書の文言からすれば、これによって解決したとされる紛争に昭和五二年の増改築が含まれると認めるべきである。しかし、右の合意書は、それまでの経緯及びその後の経過(特に、原告が、本件賃貸借契約の満了時に直ちに訴訟に訴えていること)に照らし、賃料値上げのルールを定めて当面の紛争を収めたという程度のものと考えられ、右のような感情問題を含む本件賃貸借契約にかかる紛争を全面解決したものではなかったというべきである。
(六) 右の点に関して被告は、被告の長女が障害者であることからすると、被告の転居の理由が方位や星回りにあることを信頼関係に影響するものと評価することは酷であると主張する。確かに、被告が障害者を抱えていることは同情すべきである。しかしながら、方位や星回りなどというものは、およそ不合理であり、これに縛られた行動は、大抵の場合、他者との摩擦を生み、その信頼関係を破壊する一因たり得るものである。そして、そのような他者との摩擦の責任は、方位や星回りを信じた者や、その助言をした者が負うべきものであって、摩擦を受けた他人(本件でいえば原告)に負わせるべきものではない。
(七) 以上のような事情(原告・被告それぞれの本件土地の必要性についての評価、本件賃貸借契約の経過年数、従前の原告被告間の紛争の経緯など)からすると、本件賃貸借契約を今後さらに長期間にわたって継続することは不相当であり、本件賃貸借契約については、原告において、適当な額の立退料を支払うことにより、その期間満了により解約を求めることのできる正当事由があるというべきである。
(八) そこで、右の相当とすべき立退料について検討するに、本件土地の近年の路線価は一平方メートル当り五二万円であり、本件土地の更地価格は約九〇〇〇万円程度が見込まれるところ、その借地権割合は七割であり、被告の保有する借地権価格は約七〇〇〇万円である(甲二五)。そして、この金額を一つの目安として、これに以上に述べてきたような諸事情を総合考慮すると、正当事由の補完のために原告が支払うべき立退料の額は、三〇〇〇万円が相当である。
六 結論
以上によれば、原告の主位的請求は、立退料として三〇〇〇万円を支払うことにより理由がある。
(裁判官松本清隆)
別紙物件目録<省略>